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大阪地方裁判所 昭和53年(ヨ)891号 決定

申請人

井上紘一

(ほか八名)

右申請人ら代理人弁護士

仲田隆明

谷池洋

被申請人

大昌実業株式会社

右代表者取締役

宮田靜長

右被申請人代理人弁護士

酒井信次

(ほか三名)

主文

1  申請人らが被申請人に対し、昭和五三年二月一日以降も労働契約上の地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人らに対し、それぞれ別紙(略)(三)記載の氏名欄に対応する金員及び昭和五四年一月一日以降(但し、申請人中村については同年三月末日まで)毎月一五日及び末日限り別紙(二)記載の氏名欄に対応する金員を仮に支払え。

3  申請人らのその余の申請を却下する。

4  申請費用は被申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請人ら

1  申請人らが被申請人に対し、昭和五三年二月一日以降も労働契約上の地位を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人らに対し、昭和五三年二月一日以降毎月一五日及び末日限り別紙(一)記載の氏名欄に対応する金員を仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  被申請人

1  申請人らの申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人らの負担とする。

第二当事者の主張

一  申請理由の要旨

1  被申請人は、キャバレー、カフェ営業等を目的とする会社で、「ミスニッポン」という店名のキャバレーを大阪市淀川区十三及び同市北区曾根崎において二店(以下、前者を「ミスニッポン十三店」または単に「十三店」、後者を「ミスニッポン梅田店」または単に「梅田店」という。)経営している。

2  申請人井上、同松尾、同多田、同吉岡、同大谷は昭和五一年一一月一日、同加奥は同年一二月一日、同中村は同五二年一月二日、同神保は同年一月二五日、同村岡は同年七月一日、それぞれ被申請人と楽団演奏のサービスを提供するため、「ミスニッポン梅田店」に出演する契約(以下、本件出演契約という。)を締結した。

3  申請人らのうち、申請人井上、同松尾、同多田、同吉岡、同大谷は被申請人の行った演奏テストに合格し、同加奥は被申請人の総バンドマスターという峰まさみこと勢力朝子の紹介により、同中村、同神保は右勢力の、同村岡は被申請人従業員中山支配人の承諾によりそれぞれ本件出演契約を締結したもので、申請人らは右契約締結以降「ミスニッポン梅田店」において継続して演奏に従事してきているが、その演奏に際しては、申請人井上、同松尾、同多田、同加奥、同中村、同村岡で構成する「井上一とブルーサウンズ」(以下、「井上バンド」という。)と申請人吉岡、同大谷、同神保外一名で構成する「吉岡馨とモダンポルテニア」(以下、「吉岡バンド」という。)という二つの楽団を編成し、原則として、前者は一日四回合計二時間三〇分、後者は一日四回合計二時間それぞれ被申請人の指定する場所において音楽を演奏しているのであるが、出勤及び退勤時刻については、申請人ら全員について午後六時及び同一一時と定められている。なお右演奏時間は昭和五二年六月以降定められたものであるが、被申請人の指示によりそれ以前に二度変更されたことがある。また演奏曲目についても被申請人の担当従業員らから細かい指示を受け、例えば「おばけ大会」、「ゴーゴー大会」等の催しものがある場合には、それに則した曲目の演奏を、また雪村いづみ、園まり等の有名歌手が来演する場合には、時間やバンドの構成人員及び「音合せ」等をするよう指示されていた。そして申請人らは、右演奏の対価として毎月一五日及び末日限り税引き後の手取り額として、別紙(一)記載の賃金を受取っているが、申請人らにとっては、右賃金が主たる収入源であり、これをもって生計を立てている。

以上の諸点を考えると本件出演契約が労働契約であることは明らかである。

4  ところで申請人井上、同吉岡は、本件出演契約締結に際し、被申請人から組合加入の有無を問詰され、更に昭和五二年一一月には組合加入、組合活動をしない旨の誓約書を提出させられるなどの不当労働行為を受けたが、社会保険もなく、諸手当も一切ないという被申請人の劣悪な労働条件を改善すべく、申請人らは昭和五二年一二月一五日大阪芸能労働組合(以下、単に組合という。)に加入した。

5  ところが、被申請人は申請人らの右組合加入、組合活動を嫌悪して、「ミスニッポン梅田店」の閉鎖をほのめかしだし、昭和五三年一月一二日には被申請人取締役山本徳二が申請人井上に対し「経営者同志はよく連絡があるからこんなことしてたら使われんようになるぞ」と不当労働行為を行うなかで、同年一月三一日申請外大宝実業株式会社(同社は被申請人代表取締役宮田靜長の主宰する大幸グループの一営業部門とでもいうべきものである。)を通じて申請人らを解雇する旨の意思表示をした。そして同五二年二月一日から同年四月三〇日までは賃金の六割を支給するが、同年五月一日以降は一切支払わない旨通告してきた。

6  しかしながら、右解雇の意思表示(以下、本件解雇という。)は次のとおり無効である。

(一) 解雇権の濫用

被申請人が本件解雇の理由とするのは、営業不振による「ミスニッポン梅田店」の閉鎖のためであるというにあるが、被申請人は事業所として他に「十三店」を有し、更に被申請人と一体ともいえる同系企業が多数の店舗を有し、現にこれらが営業を続けている以上、本件解雇は整理解雇というべきであるところ、右解雇には、整理解雇の認められるための要件である合理化の必要性、解雇回避の可能性ないし使用者の回避努力、整理規準の合理性及び基準適用の妥当性、労働者への説明説得が存在しない。そのうえ「梅田店」を閉めたあとに大幸グループ内の他の企業によるミニサロンの営業を画策していること等からすれば、「梅田店」の閉鎖自体偽装閉鎖の疑いが極めて強く、いずれにしても本件解雇は何らの正当性、合理性をもたないもので解雇権の濫用であり無効である。

(二) 不当労働行為

被申請人は、前第4、5項記載のとおり不当労働行為を行ない、結局本件解雇に至ったものであるが、「梅田店」の閉鎖に伴い解雇されたのは、沢田本部長を除いては申請人らのみで、他の従業員は「十三店」その他の同系企業の経営する店舗への配置転換を命ぜられている。それに右閉鎖が偽装の疑いが極めて強く、新たにミニサロン形式での営業を画策していることからすれば、本件解雇は申請人らの組合加入、組合活動を嫌悪して、申請人らを被申請人から排除するためになされたものであり、労組法七条一号に定める不当労働行為であり、無効である。

7  ところで被申請人は、仮に本件解雇が無効であって依然として両者間に労働契約関係があるとしても、右契約は昭和五三年四月末日をもって終了する「期間の定めある契約」であるから、右期間の経過をもって終了したと主張するが、申請人らは、昭和五一年一一月一日被申請人と本件出演契約を締結するに際し、契約期間を定めたことはなく、また同五二年五月一日付の契約書作成の際にも契約期間について特に申請人井上、同吉岡と被申請人との間に交渉があったわけでもなく、従って申請人らは、本件出演契約を期間の定めのないものと考えていたものである。その証左に右契約書第四条(契約の更新手続規定)の存在にも拘らず契約期限の一か月前に契約を更新するとの申出をすることもなく、また新たに契約書を取り交わすこともなく従前の契約関係が維持継続されてきたのである。

仮に本件出演契約が、被申請人主張のとおり「期間の定めある契約」であったとしても、反覆継続されることにより「期間の定めない契約」となったか、或いはそれと同様に取り扱われるべきものである。従って、単に契約期間が終了したということのみで、右契約関係を終了させることはできず、これが終了させるためには解雇または解雇に準ずる正当事由の存在が要求されるべきである。

8  申請人らは、いずれも被申請人から支給される出演料をもって生計を立てているものであること前記のとおりであるから、本案判決の確定を待つことはできない。

二  申請理由に対する答弁並びに被申請人の主張の要旨

1  被申請人と申請人らとの間には本件出演契約関係は存在しない。申請人らと契約関係にあるのは前記大宝実業株式会社である。

2  仮に被申請人と申請人らとの間に本件出演契約関係が存在するとしても、右出演契約は請負ないし請負類似の無名契約である。

ところで該契約が労働契約か否かは、その形式にとらわれず、「使用従属関係」の徴表と考えられる具体的な事実が当事者間に存在するか否かによって判断すべきところ、申請人らには次の如き事情がある。

(一) 申請人井上、同吉岡はバンドマン志望の者を自己の判断と責任とにおいて選び、適宜楽団を編成して、キャバレー等の需要家にプロモートとする典型的なプロモーターないしはバンドマスターであり、本来の意味での労働者ではなく、その余の申請人らについても、後記のとおりその大半は古くから他社に就職しており、いずれも他に生業ないし学業を有しながら自己の余暇と趣味とを生かしてアルバイトすべく、申請人井上、同吉岡のもとで楽団演奏に従事している者であって、もし被申請人との関係においても労働者であるというのならば、それは労働者としての職務専念義務に違反している。

(二) 本件出演契約の骨子は、申請人井上及び同吉岡がそれぞれ四名ないし六名で構成する楽団を編成して「ミスニッポン梅田店」において楽団演奏に従事するということであるが、楽団員に欠員が生じたときには右両名の責任において自由に他の楽団員をもってこれに代替させることができ、労働契約の一身専属性に反する。

(三) 申請人ら楽団員の人選、採用等については、すべて申請人井上、同吉岡の側において行われ、被申請人はこれに全く関与していない。従って申請人らに対する出演料も一括して右両名に支払っており、申請人ら個々人の受け取っている出演料の額も知らないし、また出勤及び退勤の時刻についても何らこれを点検することもなく、申請人らの使用する楽器もすべて申請人らの自己負担によるものである。このように被申請人の申請人らに対する取扱いは、被申請人従業員に対するそれとはことごとく異なっている。

以上の諸事情を考慮すれば、本件出演契約は労働契約とはいえず、せいぜい請負契約かこれに類する無名契約であるというべきである。

3  本件解雇は、次に述べるとおり解雇権の濫用でもなければ不当労働行為でもなく、有効である。

(一) 「ミスニッポン梅田店」閉鎖の正当性

「ミスニッポン梅田店」はいわゆるキャバレーであるところ、キャバレー経営がここ数年来慢性の不況を呈し、昭和五一年以降大阪の「北」「南」に所在する有名キャバレーが相次いで閉鎖されてきている。「梅田店」も右キャバレー業界の一般的不況傾向の例外ではありえず、被申請人が昭和五一年一一月右店舗の営業を開始してから右店舗の閉鎖を決意するに至った同五二年一二月末日までの累積赤字は計七、〇一四万四、〇〇〇円にも及んだ(但し、昭和五一年九月、一〇月の収支は営業準備のための収支である。)。このように同店の営業成績は開店当初より不振を極め、その打開策として開業六か月後の昭和五二年五月から「梅田店」で演奏に従来していた楽団を従来の四楽団二四名編成から四楽団二〇名編成に縮少し、人件費の削減を企ったが、その後も相変らず不振を続け、同年九月に至るも月間の経常収支で黒字を計上したのが三月のみであるという状態であった。そこで、被申請人は同年一〇月「ミスニッポン梅田店」の地下三階部分でのキャバレー営業を廃止し、同部分を楽団演奏及びショーを必要としないミニサロン方式の営業に切替えた。しかし、このような被申請人の経営努力にも拘らず、「梅田店」の営業収支は赤字の累積を続けていたのであるが、昭和五二年一一月に至って、従来最も収益の良いとされていた「ミスニッポン十三店」において五三三万余円に及ぶ経常収支の赤字を記録するに至り、今まで「十三店」の黒字で「梅田店」の赤字を填補し、その営業を維持してきたが、「梅田店」の収支が黒字に回復する見込みのないまま「十三店」にすら赤字を出すに至っては、これ以上「梅田店」の営業を継続することは、被申請人自体の倒産、破産につながる虞れがあり、被申請人は同年一二月初旬頃もはや「梅田店」の閉鎖以外に被申請人自立の途はないものと考えるに至った。なお「梅田店」の同年一二月の売上が目標を上廻ったが、これは同年度をもって「梅田店」の閉鎖を決意した被申請人が将来のことを考慮することなく売上単価を高くしたことによるものである。

(二) 不当労働行為の不存在

申請人らは、被申請人が申請人井上、同吉岡に対し黄犬契約を締結させる等の不当労働行為をしたり、申請人らの組合加入、組合活動を嫌悪して「ミスニッポン梅田店」の閉鎖をほのめかしだし、遂に本件解雇に至ったと主張するが、決してかかるようなことはない。即ち申請人らが組合に加入したのは昭和五三年一月一二日であって、被申請人が「梅田店」の閉鎖を申請人らに通告したのはそれより前の同年一月九日のことである。申請人らは右通告を受けたので、組合に相談に行き右のとおり組合に加入したもので、「梅田店」の閉鎖と申請人らの組合加入、組合活動とは何らの関係もなく、本件解雇が不当労働行為であるといういわれはない。

4  仮に百歩譲って、本件解雇が無効であって、被申請人と申請人との間に依然として労働契約が存在するとしても、右契約は、昭和五三年四月末日をもって終了する「期間の定めある契約」であるところ、被申請人は申請人らに対し昭和五三年一月三一日同年四月末日をもって右契約を終了させる旨の意思表示をしたので、右期間の経過をもって終了した。

しかしながら、申請人らは、この点につき本件出演契約を期間を定めて締結したことはなく、仮に右契約が「期間の定めある契約」だとしても、反覆継続されることにより「期間の定めない契約」になったかこれと同様に取り扱わるべきものであるから、被申請人が右契約を一方的に終了させるには、解雇また解雇に準ずる正当事由が必要であると主張するが、右正当事由もそれらを測定すべき絶対的な尺度が存在するのではなく、個々の労使間に存在するあらゆる事情を考慮した上での相対的な価値判断にすぎないから、その判断には次のごとき事情を考慮することが不可決である。

(一) 申請人井上は、昭和五〇年三月から現在に至るまで申請外丸善商事株式会社と楽団演奏の専属契約を締結し、同社の経営するキャバレー「天主閣」において楽団演奏に従事し、同村岡は昭和五一年一二月から現在に至るまで申請外フジモト住設機械株式会社に勤務し、同大谷は昭和四九年二月二一日から現在に至るまで申請外東洋スクリーン工業株式会社に勤務し、同神保は七、八年前頃から現在に至るまで申請外株式会社近鉄百貨店住吉配達所において配達業務に従事しているものであって、被申請人以外のものと継続労働関係をもち、賃金その他の名目のもとに金員の支払いを受けて生活しているものであり、申請人中村は現在立命館大学の四回生であり、大学を卒業すれば他に就職が予定されている典型的なアルバイト学生である。従って本件出演契約に基づく「梅田店」での楽団演奏も、これら申請人にとっては非常にアルバイト性が強い。

(二) 労働者の解雇に正当性が要求される一つの理由は、労働者の終身雇傭制度に対する信頼を保護するためにあるところ、申請人らのうち大半は、他に正業またはそれに準ずる職業をもっており、かつこれまでに少なくとも数個の楽団を転々していて定着性がない。

(三) 本件出演契約は、その間に被申請人と何ら労使関係のない勢力朝子こと峰音楽事務所が介在しており、被申請人と申請人らとの間で直接締結されたものではない。

(四) 前記のとおり「井上バンド」及び「吉岡バンド」ともその楽団員の人選、採用、欠員補充等はすべて申請人井上、同吉岡の自由に委ねられている。

(五) 申請人らを「十三店」へ配置転換することが、次のとおり著しく困難である。

(1) 「十三店」には既に二楽団が存在するところ、右既存の二楽団のうえに更に二楽団を追加することは、経費が倍増し、採算がとれない。

(2) 「井上バンド」はスイング、「吉岡バンド」はタンゴをそれぞれその演奏形態とするところ、既存の二楽団もこれと同じ演奏形態であるから、配置転換を認めても演奏効果が全く期待できない。

(3) 既存の楽団員が演奏料の低下を理由に反対する。

(六) 昭和五二年九月「梅田店」の地下三階部分を閉鎖し、これに伴い同店で演奏していた二楽団を「十三店」に配置転換したことがあるが、右はいずれも残存契約期間に相当する違約金を支払う代りに契約期間満了まで演奏に従事してもらったまでである。

以上の諸事情を考慮すれば、被申請人が申請人らに対し昭和五三年一月三一日になした期間満了を理由とする本件出演契約の更新拒絶が正当性を有することは明らかである。

5  申請人井上、同村岡、同大谷、同神保は、前記のとおりいずれも他に本業またはこれに準ずる職業を有し、そこから一定の収入をえており、被申請人から支給される出演料を唯一の生活の資としているものではない。また申請人松尾は昭和五三年二月一日から市内北区堂島所在のバー「のらくろ」で楽器(アルト・サックス)演奏兼ホステスとして稼働していたが、同年三月二〇日以降は市内淀川区十三所在のグランドキャバレー「キングオブキング」において楽団演奏に従事し一定の収入をえており、同多田は同年二月一日から右「キングオブキング」において楽団演奏に従事し、月一三万五、〇〇〇円をえており、同加奥は同年二月一日以降市内北区堂山町所在の「モンテカルロパレス」において楽団演奏に従事し、月一一、二万円をえており、同吉岡も同年二月一七日以降市内西淀川区野里町所在の「ナイトラウンジジャンボ」において楽団演奏に従事して一定の収入をえている。そのうえ申請人らはいずれも同五二年二月一日から四月三〇日まで従来の出演料の六割に当る金員を受領している。また申請人中村は前記のとおり典型的なアルバイト学生であり、卒業と同時に他に就職が予定されるものであるから、本件の如き断行仮処分によって同人を保護する必要性はない。

以上申請人らの本件仮処分申請には保全の必要性がないといわざるをえない。

第三当裁判所の判断

一  本件出演契約の当事者とその性質

当事者間に争いのない事実及び疎明によれば、次の各事実が認められる。

1  当事者

(一) 被申請人はキャバレー・カフェ営業等を目的とする会社で、大阪市淀川区十三において「ミスニッポン十三店」を、同市北区曾根崎において「ミスニッポン梅田店」をそれぞれ経営してきたが、「梅田店」は昭和五三年一月末日をもって事実上閉鎖されている。ところで被申請人は、その代表取締役である宮田靜長が主宰する「大幸グループ」の一員で、その営業方針等は「大幸グループ」傘下の他の会社と同様すべて「大幸グループ」で決定され、その指示に基づき実行されている。

而して「大幸グループ」を構成する会社(いずれも右宮田靜長が代表取締役をしている。)としては、被申請人会社の他に「大幸企業株式会社」(「グランドサロン十三」を経営)、「大幸商事株式会社」(「ミス十三」を経営)、「大日本企業株式会社」(「ワイキキ」を経営)、「株式会社大善食品」(「すし善」なるすし屋経営)、「大宝実業株式会社」(清掃婦、雑役夫、運転手等を雇傭し、これを必要に応じ右傘下の各会社に派遣したり、食品を一括購入し、これを同じく傘下の会社に販売納入したりすることを主たる業務としている。)がある。

右事実によれば、被申請人をも含めて「大幸グループ」傘下の会社は、「大幸グループ」という一企業の各営業部門を形式上独立させたに過ぎなく、その実質は同一体とみるのが相当である。

(二) 申請人井上、同松尾、同多田、同吉岡、同大谷は昭和五一年一一月一日、同加奥は同年一二月一日、同中村は同五二年一月二日、同神保は同年一月二五日、同村岡は同年七月一日にそれぞれ被申請人の経営する「ミスニッポン梅田店」において楽団演奏のサービスを提供する旨の本件出演契約を締結し、前記のとおり「梅田店」閉鎖に至るまで同店において継続して楽団演奏に従事してきたものである。

2  本件出演契約締結に至る経緯

(一) 申請人井上、同松尾、同多田は、本件出演契約締結前、外五名の者とともに申請人井上をバンドマスターとする「井上紘一とブルーサウンズ」という楽団を編成し、大阪市都島区東野田町所在のキャバレー「天主閣」において楽団演奏に従事していたが、昭和五一年九月頃申請人井上が峰まさみこと勢力朝子から「被申請人が近く梅田にキャバレーを開店するが、同店で演奏に従事してくれる楽団をさがしている。ついては現在「天主閣」で演奏している楽団編成をもって同店で演奏してもらえないか、条件は出演料が月額一人当り一三万円(但し、税引き後の手取り額、以下断りのない限り同じ)、休日は月二日である。」旨の勧誘を受けた。そこでその頃他の楽団員と相談のうえ右勧誘に応じることにした。

また申請人吉岡、同大谷も同じ頃右勢力から右同様の勧誘を受け、その勧誘に応ずることにしたが、その条件としては、四名構成のタンゴ楽団を編成し、申請人吉岡においてその責任をもって欲しい、出演料は月額一人当り一二万五、〇〇〇円、休日は月二日ということであった。なおこの際勢力から「今度来てもらう店は、本店を十三にもち、チェーン店も多数もっているから、もし店を閉めるようなことがあっても、そちらの方へ行けるから心配はいらぬ。」という説明があった。

(二) ところで勢力は昭和四九年九月頃自己をバンドマスターとする「峰楽団」を編成し、じ来自らは歌手として楽団演奏に従事してきて、右契約当時は「峰音楽事務所」という名称を用いていたもので、未だ正式に被申請人の従業員ではなかったが、被申請人から「ミスニッポン梅田店」の開店に間に合うように四楽団の斡旋方を依頼されていたもので、自らは「峰楽団」とともに「梅田店」で演奏に従事することに決めていたものである。しかしながら、前記申請人らに対しては、被申請人の総バンドマスターであるというふれこみであった。

(三) このようにして申請人井上、同松尾、同多田は、外四名と「井上一とブルーサウンズ」(以下、「井上バンド」という。)を編成し、同吉岡、同大谷は、外二名と「吉岡馨とモダンポルテニア」(以下、「吉岡バンド」という。)を編成し、いずれも昭和五一年一一月一日から「ミスニッポン梅田店」において楽団演奏に従事することになったが、申請人井上、同吉岡はその前日である一〇月三一日被申請人の指示により、以後「梅田店」で演奏に従事する四楽団のバンドマスターの一人として同店に赴いたところ、被申請人常務取締役山本徳二、片山部長、岩崎次長らに紹介された後、「井上バンド」は同店地下二階部分で、「吉岡バンド」は地下三階部分でそれぞれ楽団演奏に従事するよう、演奏場所の指示を受けた。(なお「吉岡バンド」は昭和五二年五月一日から地下二階部分で演奏するよう指示され、以降「井上バンド」とともに同所において演奏してきた。)そして、その際申請人吉岡は、「吉岡バンド」の演奏曲目につき歌謡曲主体のものにするよう右山本常務から指示された。当日(一一月一日)前記申請人らは被申請人の指示により午後三時頃「梅田店」に集合し、約一時間位演奏準備をした後、午後四時頃から勢力の指示により「井上バンド」は三曲位、「吉岡バンド」は四曲位それぞれ右山本常務、片山部長、岩崎次長他八名位の被申請人従業員の前で楽団演奏をした。そしてこの際、山本常務から「バンドで相談したいことがあるときは、勢力に相談するように」との指示があった。従って、勢力は遅くともこの段階で被申請人の総バンドマスターとしての地位についたものである。

申請人加奥は昭和五一年一二月一日勢力の紹介により「井上バンド」の一員に加わり、また申請人中村は同五二年一月二日、同神保は同年一月二五日にいずれも勢力の承諾のもとにそれぞれ「井上バンド」、「吉岡バンド」に加わり、また申請人村岡は同五二年七月一日に被申請人の従業員で当時「梅田店」の支配人をしていた中山某の承諾のもとに「吉岡バンド」に加わったものである。

(四) 前記のとおり勢力は被申請人から四楽団の斡旋の依頼を受けていたが、その際出演料は月額一人当り一三万五、〇〇〇円、休日は月二回、期間は一年という条件を提示されていた。しかし本件出演契約締結に際しては、右条件のうち期間の点については明確な合意がなされず、契約書も作成されなかった。昭和五二年五月頃に至り初めて同年五月一日付の契約書が、「井上バンド」及び「吉岡バンド」との間に作成されたが、右各契約書によれば、いずれも「契約期間は昭和五二年五月一日から同五二年一〇月三一日までの六か月間とする。」、「契約期限を更改するには双方共一か月前にその旨を申出るものとする。」と定められているにも拘らず、本件出演契約は何ら右更改手続をとることなく更新され、同五二年一一月一六日頃演奏時間及び出演料の額を除いて他は全く同内容の同年一一月一日付の契約書が右両バンドとの間で作成された。しかし右四通の契約書は、いずれも申請人井上、同吉岡がそれぞれ「井上バンド」、「吉岡バンド」を代表して作成されたものであるが、その宛名は前記大宝実業株式会社となっている。

3  「ミスニッポン梅田店」における申請人らの出演等の実態

(一) 申請人らはそれぞれ前記のとおり「梅田店」において楽団演奏の業務に従事してきたが、その出勤時刻は昭和五二年一二月一二日から午後六時(それまでは午後六時三〇分)、退勤時間は午後一一時であった。そして申請人らが右時間以外の時間帯に他で働くことは特に禁止されていなかった。

(二) 演奏業務の対価である出演料は、昭和五二年五月一日当時「井上バンド」、「吉岡バンド」とも月額一人当り一三万五、〇〇〇円であったが、同年一一月一日から右両「バンド」とも月額一人当り一四万五、〇〇〇円に増額された。そして右両「バンド」のバンドマスターである申請人井上及び同吉岡がこれを毎月一五日と末日の二回にわけて一括して受領するのを、申請人ら各楽団員において、その技能や経験等に応じて配分受領していたが、申請人らはいずれもこれを主たる収入源とし、生計を維持していた(但し、申請人中村は主としてこれを学費に当てていた。)。そして右申請人らに対する給与所得の源泉徴収は被申請人において行っていたが、その方法については、申請人らが現実に受領する右配分額を基準にしているのか、一律に一人当り一四万五、〇〇〇円として、右金額を基準にしているのか明らかではない。ところで右出演料の受領については、勢力が被申請人の総バンドマスターをしていた昭和五二年四月末日までは同女が峰音楽事務所名で一括受領したものを各楽団毎に所定の金額に分配し、これを各バンドマスターにおいて一括受領していたが、同女が総バンドマスターを退めた後は各バンドマスターがそれぞれ所定の出演料を被申請人から一括して受領するようになった。

(三) 被申請人が、当初「井上バンド」及び「吉岡バンド」とそれぞれ本件出演契約を締結した際は、楽団員の各自につき名簿や顔写真等の提出を求めず、単に各楽団員からその氏名と担当楽器の報告を受けるに止まったし、その後の楽団員の交替についても楽団全体としての演奏水準が著しく低下しない限り前記認定のとおり後任者の氏名の報告を受ける程度で、これを各バンドマスターに一任していた。

(四) 楽団員が、病気等で休む場合にこれを補充する臨時雇(キャバレー業界ではこれを「トラ」と呼んでいる。)の採用や退団する場合にこれに伴う後任者の補充については、音楽的な知識や縁故をもたない被申請人が自らこれを行うことは困難であることから、総バンドマスターであった勢力や申請人井上、同吉岡が他の楽団員の協力をえて、これに当らざるをえなかったが、この後任者の氏名等はその都度一応「梅田店」の業務担当者(勢力在任中は殆んど同人)に報告されていたし、報告されなかったときでも各楽団員が演奏するステージが「梅田店」で最も目につきやすい所であることから、右業務担当者には直ちに後任楽団員が誰れであるかを知ることができた。

(五) 被申請人では、楽団員である申請人ら以外の従業員については出勤簿またはタイムレコーダーを備えつけることにより出勤及び退勤の状況を把握していたが、申請人らについてはこれがない。しかしながら、申請人らは「梅田店」では最も目につきやすいステージで被申請人が指示した時間演奏業務に従事することから、申請人らの出勤及び退勤の状況も明確に把握されていた。

(六) 演奏曲目については、「井上バンド」に主としてジャズ、「吉岡バンド」に歌謡曲という包括的な指示をしていたが、客の希望する曲があれば、その曲を演奏するように指示したり、例えば「おばけ大会」、「ゴーゴー大会」「ゆかたまつり」その他のゲーム大会等の催しがある場合にはそれにふさわしい曲目の演奏を、また雪村いづみ、園まり等の有名歌手が来演する場合には、演奏時間や楽団の構成人員の変更及び「音合せ」等をするよう指示された。また客が立て込み、フロアーまで客席を設けるようなときには楽団演奏の中止を指示したり、代表取締役の宮田靜長が来店した場合等には音量を下げるよう指示することもあった。

(七) 演奏時間は、原則として月曜日から土曜日までの間は、「吉岡バンド」が第一回目が午後六時から同六時四五分まで、第二回目が同七時三〇分から同八時一〇分まで、第三回目が同八時五〇分から同九時三〇分まで、第四回目が同一〇時から同一〇時二五分までの計二時間三〇分、「井上バンド」が午後六時四五分から同一一時までの間で「吉岡バンド」の休憩時間中の同じく四回計二時間三〇分である。日曜日は、「井上バンド」、「吉岡バンド」が毎月各週毎に交互に休むため、いずれも午後六時から同一一時までの間に二〇分のレコード演奏、四〇分の楽団演奏を五回繰返すので、計三時間二〇分の演奏時間となる。なお前記のように有名歌手等が来演する場合は「ビッグショウ」と称し、「音合せ」のため午後四時頃から演奏業務に従事することになり、その他「ショウ」のある場合には「ショウタイム」と称して演奏時間の変更が指示される。

(八) 演奏楽器は、その性質上大部分が申請人らの自己負担のものであるが、ピアノ、ドラム(但し、申請人多田は自己のものを使用していた。)、アンプ、譜面台等は被申請人の提供によるものであった。また演奏に際しては、被申請人の提供するユニホーム等を必ず着用しなければならず、これに違反したりすると、担当者から厳重な注意ないし叱責があった。

4  判断

以上認定にかかる各事実によれば、本件出演契約は、申請人らと被申請人との間で締結されたものとみるのが相当であり、その性質も、右各事実によれば申請人らが被申請人の指定する日時、場所において楽団演奏等の業務に従事すべき義務を負っていること、右演奏業務の遂行にあたっても被申請人の指揮監督を受け、かつ申請人らが受ける演奏料は演奏自体の対価であり、しかも申請人らはこれを主たる収入源として生計を立てているものであるということができるから、被申請人と申請人との間にはいわゆる使用従属関係があるものと解すべきであり、労働契約であるとみるのが相当である。

二  本件解雇の効力

当事者間に争いのない事実及び疎明によれば、一応次の各事実が認められる。

1  申請人らの組合加入に至る経緯

(一) 申請人井上及び同吉岡は、昭和五二年三月頃勢力からそれぞれ「井上バンド」及び「吉岡バンド」の楽団員を一名宛減員するようにとの指示を受けた。勢力の説明によれば、右減員の指示は、当時「梅田店」で演奏業務に従事している四楽団のうち一楽団を減らせとの被申請人の指示であったのを、勢力において交渉した結果によるものであるとのことであったので、右申請人両名は止むをえないものとして右指示に従い、それぞれ各一名宛減員した。

(二) 被申請人は昭和五二年九月末日をもって、「梅田店」のうち地下三階部分の店舗を閉鎖し、後に前記大日本企業株式会社が「ヤングサロンワイキキ」なる名の店を開き、右三階部分で演奏に従事していた二楽団は前記大幸企業株式会社の経営する「グランドサロン十三」において演奏業務に従事することになった。

(三) ところで「梅田店」には楽団員が休憩する控室がなかった。そこで申請人井上は、昭和五二年九月中旬頃右控室の設置とともに演奏料を本件出演契約の次の更新期である同年一一月一日から一人当り一万円宛増額されたいこと並びに楽団員をこれ以上減員させないことの三項目を書面に認め、被申請人(もっとも右書面の宛名は大宝実業株式会社となっているが、右は単に本件出演契約書の宛名が右会社となっていたからにすぎない。)に対し、要望した。

(四) 申請人井上、同吉岡は被申請人との間で昭和五二年一一月一六日頃同年一一月一日付の本件出演契約に関する契約書をそれぞれ作成したが、この時被申請人は右申請人両名に対し、労働組合への加入及び活動は一切しない旨の誓約書を作成させ、被申請人へ差入れさせた。

(五) ところで、右一一月一日付各契約書によれば、出演料は前記要望どおり同五二年一一月一日から一人当り一万円増額されていたが、演奏時間も従前の午後六時三〇分から同一一時までが午後六時から同一一時までと三〇分間延長されたことになっていたが、申請人らは依然として従来どおり午後六時三〇分から午後一一時までの間楽団演奏に従事し、被申請人もこれに対し何ら異議を述べず、この状態は同五二年一二月一一日まで続いた。ところが同月一一日被申請人代表取締宮田靜長は申請人らに対し、翌一二日からは契約書に記載されているとおり午後六時から楽団演奏に従事せよとの指示をなした。

(六) 申請人井上、同吉岡は、前記契約書作成の際に演奏時間の点に留意しなかった落度はあるものの、契約作成後一か月近くも従前どおりの演奏時間であったのを、契約書に記載されているとの一事で一方的にその変更を指示してきた被申請人の態度に納得できず、抗議した。これに対し、被申請人は従前どおりの演奏時間に固執するならば出演料を一割カットすると答えるのみで右抗議を聞き入れようとしなかったので、申請人らは、止むなく右指示に従うことにしたが、申請人井上、同吉岡は今後に不安を感じ二度とこのようなことのないよう明確な労働条件を確立しておく必要を感じ、ここに組合加入の決意をし、翌一二日頃組合を訪れ、加入の意思表示をした。

(七) しかし、申請人井上及び同吉岡並びに組合は被申請人に対し、同人らが組合に加入したことを通知しなかったので、被申請人はこの段階では未だ右申請人両名が組合に加入したことは知らなかった。

(八) 被申請人は、前記山本常務を通じ昭和五三年一月九日頃申請人らに対し、「梅田店」地下二階部分を同年一月末日をもって閉鎖するから、申請人ら楽団員は退められたい、ついては退職金の面でできる限り考慮する旨を通告してきた。

(九) そこで、申請人らはいずれも同五三年一月一〇日過ぎ頃組合を訪れ、組合申込書を作成し合せて組合費を納入し、正式に組合に加入した。組合は同年一月一二日、同日付書面で大宝実業株式会社宛に団交を申入れるとともに、組合代表者中川委員長が申請人井上らと「梅田店」を訪れたが、この時前記山本常務は申請人井上に対し、「経営者同志はよく連絡があるから、こんなことをしていたら使われんようになるぞ。」と暗に申請人井上らの組合加入、組合活動を批難する言辞をした。

右認定の各事実によれば、被申請人は申請人らの組合加入、組合活動を非常に嫌悪していたことが認められる。

2  「ミスニッポン梅田店」の閉鎖と本件解雇に至る経緯

(一) 被申請人は申請人らに対し、前記のとおり「梅田店」閉鎖を理由に任意退職を求めてきたが、申請人らは組合を通じ「十三店」または前記大幸企業株式会社の経営する「グランドサロン十三」等大幸グループ傘下の他の店舗への配置転換を求めた。これに対し、被申請人は、申請人らが配置転換を求める右各店舗には既に他の楽団が二編成宛配置されており、このうえ「井上バンド」、「吉岡バンド」を独立の楽団として配転することは、各楽団の一日当たりの実質演奏時間が一時間一五分となり、楽団員の人件費が倍増することになり採算がとれないこと、「井上バンド」はスイング、「吉岡バンド」はタンゴをそれぞれその演奏形態とするところ、既存の各楽団もこれと同じ演奏形態であるから、配置転換を認めても演奏効果が期待し難いこと、既存の各楽団員が出演料の低下を理由に反対していることを理由に、また申請人ら各楽団員個々人を既存の楽団に編入させることは、楽団編成がバンドマスターに一任されてきた従来の慣行から無理であることを理由に、また右「十三店」、「グランドサロン十三」以外の他の店舗への配置転換は営業許可等の関係からできないことを理由に拒否した。

しかし、これら配転拒否の理由は具体的に検討した結果に基づくものではなく、専ら楽団員の人件費が倍増して採算がとれないという点が実質的な理由であった。

(二) 被申請人は、「梅田店」を閉鎖する理由として、同店の経常収支の赤字を上げ、これを疎明するため数通の経理資料を提出している。しかし右提出された経理資料だけをとってみても、前に提出された資料(「ミス日本梅田店損益計算書」)と後に提出された資料(「経費明細帖」)とで、計算上同じ結論になるべき費目に計数上のくいちがいがあったり(もっとも、被申請人はこの点は前に提出した資料は急いで作成させたものであるから正確ではないという。)、当然計上されるべきものと思われるホステスの指名料やサービス料が全く計上されていなかったり、或いはこれら資料作成の基本となる営業日報の総売上高の計算方法にも疑点がある。このように「梅田店」の経理内容を明確にする資料は未だ提出されているとはいえないが、この点はさておき提出された右資料を総合すれば「梅田店」が開店以来経常収支に赤字を出していたことは、実質赤字額がどれ程であったかを別にすれば、これを認めることはできる。しかし右赤字額も昭和五二年九月末日をもって「梅田店」地下三階部分を閉鎖した後である同年一〇月及び一一月には六〇万円台に減少しており、更に同年一二月には却って一、五〇〇万円余の黒字を出しており、また同年一〇月及び一一月は赤字こそ出しているが、大幸グループで指示する当月の売上目標をほぼ達成している。

そして、右経常的な「梅田店」の赤字は、主に同店におけるホステスの人件費が他店のそれに比べて割高になっていることによるのである。

(三) ところで、申請人らを除くその余の被申請人従業員は、一名を除きいずれも被申請人の要請どおり任意退職に応じたが、業績不振を理由とする「梅田店」閉鎖に疑問をもつ申請人らは、あくまで「十三店」や大幸グループ傘下の他の店舗への配置転換を求め、任意退職に応じなかったので、被申請人は昭和五三年一月三一日大宝実業株式会社名で同年四月末日をもって申請人らをいずれも解雇する旨の意思表示をなし、併せて同年二月一日から同年四月末日までは賃金の六割を支払うが、同年五月一日以降は一切支払わない旨を通告し、同年一月末日をもって「梅田店」を閉鎖してしまった。

3  「ミスニッポン梅田店」閉鎖後の事情

(一) 申請人らは、「梅田店」閉鎖後も被申請人に対し前記要求をかかげて団交をしてきたが、被申請人は、申請人らと被申請人との間には直接の契約関係はない、仮にあったとしてもそれは請負またはこれに類する無名契約である、仮にこれが雇傭関係であるとしても、右関係は昭和五三年四月末日をもって終了したと従来の主張を繰り返すのみで、誠実な団交がもたれるというようなことはなかった。また申請人らを解雇したことについては、「梅田店」の経常的な累積赤字による閉鎖と前記認定のとおり申請人らを配置転換すべき店舗が他にないという説明をするのみで、被申請人が申請人らの配置転換の可能性を具体的に検討したとか、或いはこのために努力したということはなかった。

(二) 申請人らは、「梅田店」閉鎖後の同年二月から四月までの各月の一五日と末日に従来受取っていた出演料の六割に相当する金員の支払いを受けたが、右金員のみでは生計を維持することができず、後記のとおり申請人らの大半は同年二月一日以降他の楽団で臨時雇として楽団演奏に従事してきた。

(三) ところで、被申請人は申請外田中興業株式会社から「ミスニッポン梅田店」地下二、三階部分を一括して敷金一億八、〇〇〇万円(二階部分は一億三、〇〇〇万円)、期間を一〇年という条件で賃借したのであるが、昭和五三年一月末日をもって右地下二階部分の賃貸借契約を合意解除したといいながら、同年一一月になるも右店舗部分についての敷金一億三、〇〇〇万円の返還を受けず、未だに右店舗部分への入居者もない。

4  判断

右認定の各事実を総合すれば、「ミスニッポン梅田店」が被申請人の事業所の一つであるところ、「梅田店」が開店以来経常的に赤字をだしてきたことが認められる。しかし被申請人がいうように「梅田店」を閉鎖しなければ、被申請人自体の倒産、破産につながるとは到底認められず、昭和五二年一〇月以降の「梅田店」の営業状態からすれば、右店舗を閉鎖すべきほどの業績不振であったとも認められない。却って、被申請人は当初(昭和五二年一二月中旬頃)「梅田店」地下二階部分を、地下三階部分と同じくキャバレー営業よりも一層利益の上るミニサロン形式の店舗に切り替える意図で、「梅田店」の閉鎖を思いたったが、楽団演奏やショウ等のサービスをしないミニサロン形式の店舗では、もはや申請人ら楽団員を必要としないことから、同人らに対しまず任意退職を求めたが、その直後申請人らが組合に加入したことが、被申請人の明かに知るところとなったうえ、申請人らが右任意退職に応じないので、この際組合活動をする申請人らを被申請人から排除するため「梅田店」の閉鎖に踏み切ったことが認められるのであって、「梅田店」閉鎖の必要性にまず疑いがもたれる。

もっとも企業がその事業所を閉鎖するか否かは、その閉鎖がいわゆる偽装閉鎖でない限り企業主の専権に属するものといわざるをえないが、右閉鎖が当該事業所で働く者のみの犠牲のうえにたって行われることが許されないのも当然である。

これを本件についてみるに、前記認定の事実によれば、被申請人が申請人らを「十三店」或いは大幸グループ傘下の他の会社の経営する店舗へ配置転換させることが、申請人らが楽団員であることから他の従業員例えばホステスと異なり、困難を伴うことは認められるが、被申請人はこれを専ら申請人らを含む楽団員の人件費が倍増するという面から考えて拒否したものであって、その余の点については具体的に検討した様子も努力した形跡もないというのであるから、右配転拒否が正当なものであるといえないことは明らかである。

以上によれば、「梅田店」の閉鎖が、偽装閉鎖とはいえないが、申請人らの組合加入、組合活動を嫌悪してなされた不当労働行為の疑いが強く、且つ「梅田店」閉鎖に伴う申請人らの解雇も正当性を欠くものといわざるをえず、本件解雇は、解雇権の濫用として無効といざるをえない。

三  期間満了による本件出演契約の帰すう

以上に認定してきた事実によれば、次の各事実が認められる。

1  本件出演契約の更新及びその実態

本件出演契約は、昭和五二年五月一日及び同年一一月一日の二回更新されているが、右契約締結に際しては、契約書も作成されず、期間の点について明確な合意があったとは認め難く、また以降作成された契約書には更新手続に関する規定があるのに、右手続は一度も履践されたことはない。

2  申請人らの業務内容

申請人らは、いずれも「井上バンド」、「吉岡バンド」の楽団員として、被申請人の指示する時間、場所において、その指揮のもとに楽団演奏に従事し、その対価として毎月一五日と末日とに一定の金員の支払いを受けているものであって、「梅田店」におけるホステスの業務内容と本質的には異なることがない。

3  本件出演契約締結時における被申請人側の言辞

申請人井上、同吉岡は、本件出演契約締結の際、被申請人のバンドマスターであるという勢力朝子から、仮に「梅田店」が閉鎖されるようなことがあっても、「十三店」または大幸グループ傘下の他の会社の経営する店舗へ行けるから安心せよ、との言辞を受けている。

4  判断

右事実によれば、申請人らが期間満了後も被申請人において当然本件出演契約関係を継続すべきものと期待するについて十分合理性が認められるから、このような場合に更新を拒絶するには解雇に関する諸法規を類推適用すべきものと解するのが相当である。

そうすれば、被申請人が申請人らに対し、期間満了による本件出演契約の終了を主張するのにも解雇理由の存在が要求されることになるが、前記のとおり解雇理由は存在しない。

そうだとすれば、申請人らと被申請人との間の本件出演契約は、昭和五三年四月末日をもって終了せず、依然として継続しているものといわざるをえない。

四  保全の必要性

当事者間に争いのない事実及び疎明によれば、次の事実が認められる。

1  申請人らの「梅田店」閉鎖後の生活状況

申請人井上は前記「天主閣」やその他の店舗で臨時雇いとして楽団演奏に従事し、収入をえており、同松尾は昭和五三年三月中旬頃から市内淀川区十三所在のキャバレー「キングオブキング」において臨時雇いとして楽団演奏に従事し、一定の収入をえており、同多田は同年二月一日から右「キングオブキング」において臨時雇いとして楽団演奏に従事し、月一三万五、〇〇〇円をえているが、妻と幼児二人の扶養家族をかかえており、同加奥は同年二月一日から同月二九日までの間市内北区堂山町所在の「モンテカルロパレス」において臨時雇いとして楽団演奏に従事し、一一、二万円の収入をえたことがあるが、現在は稼働しておらず、回吉岡は同年二月一七日以降市内西淀川区野里町所在の「ナイトラウンジジャンボ」において臨時雇いとして楽団演奏に従事し、一二万円程度の収入をえたことがあるが、一定の演奏場所をもっていない。また申請人大谷は昭和四九年二月から就職していた東洋スクリーン工業株式会社に引続き勤務し、月額一五万円程度の収入をえているが、妻と子供一人(幼稚園児)の扶養家族をかかえており、同村岡は同五一年一二月から臨時雇いとして就職していたフジモト住設機械株式会社に同じく臨時雇いとして勤務し、一定の収入をえており、同神保は株式会社近鉄百貨店住吉配達所において配達業務に従事し、月額五、六万円程度の収入をえているが、同中村は「梅田店」閉鎖後はとくに他で稼働はしていない。

2  その他の事情

(一) 申請人らはいずれも昭和五三年二月から四月まで各月一五日と末日とに従来受領してきた出演料の六割に相当する金員を受領している。

(二) 申請人中村は現在大学の四回生であって特段の事情のない限り昭和五四年三月をもって右大学を卒業し、他に就職が予定されるものである。

(三) 申請人らの労働契約が、いわゆるサラリーマンのそれとは異なり、前記のとおり特殊な内容(例えば楽団員の補充が認められていること等)を有している。

(四) しかしながら、申請人らはいずれも被申請人から支給される出演料を主たる収入源としてこれで生計を維持してきたものである。

3  判断

右各事実によれば、申請人らが被申請人から従来受領していた出演料と同額の金員の仮払いを被申請人に命ずる必要性はないものといわざるをえず、せいぜいその六割に相当する金員の支払いを命ずる限度において、その必要性を認めるのが相当である。従って昭和五三年二月から四月までの金員の仮払いを求める部分については、その必要性がないものといわざるをえず、また申請人中村については、昭和五四年四月以降の金員の仮払いを求める部分についても、その必要性を認め難い。

五  結び

以上によれば、申請人の本件申請中、申請人らがいずれも被申請人に対し、労働契約上の地位を有すること及び申請人中村を除くその余の申請人らは昭和五三年五月一日以降、申請人中村は同年五月一日から同五四年三月末日まで毎月一五日と末日とにそれぞれ別紙(二)記載の各金員の仮払いを求める限度で疎明があるので、右申請をこの範囲で正当として認容し、その余を失当として却下することとし、申請費用につき民訴法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 最上侃二)

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